やさしいローマ書

エマオ訳のローマ人への手紙を元にして、ギリシャ語原文を参照しながら、平易な言葉で訳してみました。
これはエマオ訳に取って代わるものではありません。元になっているエマオ訳と比較しながらお読みいただければ幸いです。
ご意見やご質問など、エマオ出版までお寄せください。

1

あいさつの言葉
  1.  キリスト・イエスの奴隷パウロ、神の福音のために選び分けられている、召された使徒より。
  2.  神は、この福音を、ご自分の預言者たちを通して、聖書の中で前から約束しておられました。
  3. 福音とは、御子に関する良い知らせです。御子は、人としては、ダビデの子孫としてお生まれになりましたが、
  4. 聖なる御霊によって、死者たちの中から復活されることによって、力ある神の御子として示されたお方、私たちの主イエス・キリストです。
  5. 私たちは、この御方によって、使徒の務めという恵みを受けました。御名のために、全ての異邦人の所に行って、人々を信仰による従順へと導くためです。
  6. あなたがたも、これら異邦人たちの中から、召されてイエス・キリストのものとされた方々です。
  7. このパウロから、ローマにいる全ての、神に愛されている方々、召された聖徒たちへ。恵みと平安が、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたの上にありますように。
ローマ訪問の願望
  1.  まず何よりも、あなたがた皆のために、私はイエス・キリストを通して、私の神に感謝しています。なぜなら、あなたがたの信仰が、全世界に知れ渡っているからです。
  2.  私が、神の御子の福音を伝えることによって、心からお仕えしている神が証人となって下さることですが、私は絶えず、あなたがたを思い出しては祈り、
  3. 神のみこころの通りに何とか道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと切に願っているのです。
  4. それは、あなたがたにぜひ会って、霊的賜物をいくらかでも与えてあなたがたを強めたいからなのですが、
  5. それ以上に、あなたがたのところで、あなたがたと私との互いの信仰によって、共に励まし合いたいからです。
パウロの負債
  1.  兄弟たちよ、ぜひ知っていて下さい。私は、他の国々で実を得たように、あなたがたの中でも、何らかの実を得たいと思い、あなたがたの所へ行く決心を何度もしました。しかし、今に至るまで妨げられてきたのです。
  2. 私には、ギリシア人にも未開人にも、また、知識のある人にもない人にも、負債があります。
  3. ですから、私自身の切なる思いとしては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を宣べ伝えたいのです。
神の力なる福音
  1.  というのも、私はこの福音を全く恥じていないからです。福音こそ、ユダヤ人をはじめギリシア人も、信じる全ての者を救いに至らせる神の力だからです。
  2. なぜなら、福音には神の義の御わざが啓示されていて、それは最初から最後まで、信仰の原則に貫かれているからです。まさしく、正しい人はその信仰によって生きる(ハバクク書2:4)と書き記されている通りです。
罪に対する神の怒り
  1.  というのは、ありとあらゆる不敬虔や不正を行い、真理が明らかになるのを不当に妨げている人々に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。
  2. なぜなら、明らかに人間は、神についての知識を持っているからです。神が、それを明らかにしておられるからです。
  3. 世界の創造以来、神の作品である人間は、目に見えない神の永遠の力やご性質を認識しています。そのことは、彼らに弁解の余地がないほど明白に見られます。
  4. ですから、彼らは知っていながら神を神としてあがめず、神に感謝を捧げていないのです。そのために、神について正しく考えられなくなり、愚かな心は暗やみとなっています。
  5. 自分には知識があると言ってはいても、愚かな者となってしまい、
  6. こうして、不滅の神の栄光を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、は虫類のようなものに置き換えています。
神によって引き渡された人間
  1.  ですから、神は彼らを、心の欲望から出た性的堕落に、引き渡してしまわれました。その結果、彼らは互いに、自らの体で恥ずべき行為を行っています。
  2. さらに彼らは、神の真理を偽りと取り替えてしまい、造り主の代わりに造られた物を拝んで、それに仕えています。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき御方です。アーメン。
  3.  このようなわけで、神は彼らを、恥ずべき情欲に引き渡してしまわれました。女たちの中には、自然な関係を不自然な関係に換えてしまっている者がいます。
  4. 同じように、男も、女との自然な関係を捨てて、男同士で性欲に燃え、男が男と恥知らずなことを行っています。彼らは、自分の誤りにふさわしい報いを、自分自身に受け取っています。
  5. 彼らはよく考えた上で、神を知ることに価値を認めなかったため、神も彼らを無価値な考えに引き渡してしまわれました。こうして彼らは、嫌悪すべきことをも行うようになったのです。
  6.  彼らは、あらゆる不正と邪悪さと貪りと悪意とで満たされ、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになっています。彼らは、悪口を言う者、
  7. 人をそしる者、神を憎む者、乱暴で横柄な者、高ぶる者、大言壮語する者、悪をたくらむ者、親に逆らう者、
  8. わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、無慈悲な者になっています。
  9. 彼らは、そのようなことを行う者は死に値するという神の正しい定めをよく知ったうえでそうしているばかりか、そのようなことを行う者たちに賛成しているのです。

2

真理に従った裁き
  1.  ですから、言い逃れができないのは、他人を裁いているあなたも同じです。なぜなら、あなたが他人を裁くために用いる律法が、あなた自身を有罪と宣告しているからです。他人を裁いているあなた自身が、同じことを行っているではないですか。
  2. 「そのような悪事を働いている者たちは、神が真理に従ってお裁きになる」と、あなたがたは言っています。
  3. ああ、そのような悪事を働いている者たちを裁きながら、同じことを行っている者よ。自分は、神の裁きを逃れることができるとでも思っているのですか。
  4. それとも、神の豊かな慈愛と忍耐と寛容を軽んじているのですか。神があなたに慈愛深くあられるのは、あなたを悔い改めに導くためであることが分からないのですか。
行いに従った報い
  1.  しかし、かたくなで、悔い改めのない心のために、あなたは御怒りの日、すなわち神の公正な裁きが行われる日のために、御怒りを自分で積み上げているのです。
  2. 神は一人ひとりに、それぞれの行いに従って、必ず報いられる(箴言24:12)とあるように、
  3. 良い働きを着実に継続し、栄光と誉れと不滅のものを求めている者には、神は永遠の命を報いてくださいます。
  4. しかし、自我を追求して生きている者、すなわち真理に従わないで、不義に従っている者たちには、激しい怒りと憤りが下されます。
  5. ユダヤ人はもちろんのこと、ギリシア人にも、全て悪を行っている者には、悩みと苦しみがあり、
  6. ユダヤ人であれギリシア人であれ、誰でも善を行っている者には栄光と誉れと平安があります。
  7. 神には分けへだてなどないからです。
福音に従った裁き
  1.  それゆえ、誰でも律法を持たずに罪を犯した者は、律法を持たずに滅び、また、誰でも律法の下で罪を犯した者は、律法の下で裁かれるのです。
  2. なぜなら、律法の教えを聞いている者が、神の前に正しいのではなく、律法の教えを実行している者が、義と認められることになるからです。
  3. というのも、生まれた時から律法を持たない異邦人たちが、律法に記されていることを行っているならば、律法を持っていなくても、自分自身が律法であるからです。
  4. つまり、彼らの心の中に、律法の命じることがらが記されているということです。彼らの良心も、共にそのことを証言しています。その証拠に、彼らは、いろいろな思いで心がとがめたり、言い訳をしたりしています。
  5. 神は裁きの日に、人々の隠された罪をお裁きになります。それは、私の福音に従って、キリスト・イエスによって行われます。
ユダヤ人と律法
  1.  あなたはユダヤ人と呼ばれ、律法に信頼を置き、神を知っていると誇っています。
  2. また、神のみこころをよく知っており、律法から教えられて、何が正しいかを見分けています。
  3. 律法の中に、知識も真理も具体的に持っているので、
  4. 「私は盲人の手引き、やみの中にいる者の光、無知な者の指導者、幼児の教師だ」と自認しています。
  5.  それなら、どうして他人を教えながら、自分は教えないのですか。他人に盗むなと教えているあなたが、盗むのですか。
  6. 姦淫を犯すなと説くあなたが、姦淫を犯すのですか。偶像を忌み嫌っているはずのあなたが、偶像の宮で盗みを働くのですか。
  7. 律法を誇っているあなたが、律法に違反して神を辱めているではありませんか。
  8. こう書かれているとおりです。
    あなたがたのゆえに、神の御名が異邦人の間で汚されている(イザヤ書52:5)
  9.  割礼も、律法を実行してこそ益があります。しかし、あなたが律法の違反者であるなら、あなたの割礼は無割礼も同然です。
  10. その反対に、たとい無割礼の者であっても、律法の正しい教えを守っているなら、その人の無割礼は、割礼に等しい価値があると認められないでしょうか。
  11. 生まれた時から無割礼であっても、律法を守っている者は、あなたを、律法の条文と割礼を持ってはいても違反者だと言って、責めないでしょうか。
  12. 外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉の割礼が割礼なのでもありません。
  13. むしろ、隠れたユダヤ人こそ本当のユダヤ人であり、文字によらず霊による、心の割礼こそ本当の割礼です。その人の誉れは、人からでなく、神から来ます。

3

四つの反論
  1.  「それでは、ユダヤ人であることに何も利点はないのか。割礼の者であることに何も益はないのか。」
  2.  それは、あらゆる点で大いにあります。何よりもまず、神の啓示が彼らに委ねられました。
  3.  「では、どうなのか。その神の啓示を委ねられた者たちの中に、信仰を持たなかった者たちがいたのだから、彼らの不真実さは、神の真実さを無効にするのではないか。」
  4.  とんでもない考えです。神をいつも真実な御方とし、人間は全て偽り者とすべきです。こう書き記されてあるとおりです。
     あなたの語るみことばは常に正しく、訴えられても、常に勝利を得る御方です。(詩篇51:4)
  5.  「しかし、もし私たちの不義が神の義を証明するとしたら、何と言うべきか、人間的な言い方をするなら、怒りを下す神は不正ではないか。」
  6. とんでもない考えです。もしそうなら、神はどのようにして世を治めることができるでしょうか。
  7.  「しかし、私の偽りによって神の真実さが満ちあふれて、神の栄光となっているとしたら、なぜ私が罪人としてさばかれなければならないのか。」
  8.  ある者たちは、私たちも「善が現されるために悪を行うべきである」と語っていると言い、私たちを非難していますが、そのような者たちにこそ、正しいさばきが下されるのです。
義人はいない
  1.  では何と言いましょうか。私たちユダヤ人は、異邦人よりも優れているのでしょうか。いいえ、全くそうではありません。私たちはすでに、ユダヤ人もギリシア人も、全ての者が罪の支配下にあると指摘しました。
  2. こう書き記されてあるとおりです。
     義人はいない、一人としていない。
  3.  悟りのある者もなく、神を求める者もない。
  4.  全ての者は迷い出てしまい、皆、共に役立たずになった。
     善を行う者はいない、一人としていない。
  5.  彼らの喉は開いたままの墓、その舌であざむいてきた。
     唇の下にはコブラの毒、
  6.  口は呪いと苦さで満ちている。
  7.  足は血を流すのに素早く、
  8.  通った後は廃墟と悲惨、
  9.  彼らは平和の道を知らない。
  10.  目の前に神への恐れがない。(詩篇14篇、53篇他)
  11.  さて私たちは、律法の言うことが全て、律法の支配下にいる者たちに対して語られていると知っています。それは、全ての口が黙らされ、全世界が、神に対して有罪であるとの判決を受けるためです。
  12. そのわけは、律法の行いによっては、神の前に義と認められる者が一人もいないからです。律法によっては、罪についての十分な知識が与えられるだけです。
信仰義認
  1.  しかし、今や、(人間の努力や行いと引き換えに、神が救いを与えて下さるという)律法の原則と関係なく、神のなさる義の御わざが明らかにされています。それは、モーセの律法と預言者たちによって証されていたことですが、
  2. イエス・キリストを信じる信仰を通して、だれでも信じる者を義とするという神の御わざです。
  3. というのも、ユダヤ人と異邦人との区別なく、全ての人が罪を犯し、そのために神から賞賛を受ける資格を失っているからです。
血による贖い
  1.  しかし、全ての人は、神の恵みのゆえに、キリスト・イエスによる贖いを通して、無償で義と認められます。
  2. 神はこの方を、神の怒りをなだめるいけにえとして、公にお示しになりました。そして、このなだめは、キリストの血に信頼する信仰を通して有効となります。このようにして神は、ご自分の義を明らかに示されたのです。
     これまで神は、それ以前に犯された罪過をご自分の深い憐れみによって見逃して来られました。
  3. しかし、今や神は、イエスへの信仰に基づく者を義としつつ、しかも、ご自身がいつも義なる方であることを、明らかにお示しになったのです。
  4.  では、私たちの誇りはどこにあるのでしょう。それは取り除かれました。どのような法則によってでしょう。行いの法則によってでしょうか。いいえ、信仰の法則によってです。
  5. 私たちはこう結論します。人が義と認められるのは、ただ信仰によるのであり、律法の教えを守り行うこととは無関係であると。
信仰の原則
  1.  神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないでしょうか。確かに、神が唯一である以上、異邦人の神でもあられます。
  2. この同じ神が、割礼のある者を信仰に基づいて義と認めてくださると共に、割礼のない者をも、この信仰を通して義と認めてくださるのです。
  3.  では、私たちはこの信仰によって、律法の役目を無効にしてしまうでしょうか。とんでもない考えです。かえって、律法の役目を確立しているのです。

4

アブラハムの例
  1.  では、どうなのでしょうか。私たちの先祖アブラハムが厚意を受けたのは、肉によってでしょうか。
  2. もしアブラハムが、行いに基づいて義と認められたのなら、誇ることができます。しかし、神に対して誇ることはできません。
  3. なぜなら、聖書が、こう語っているからです。
     アブラハムは神に信頼した。
     その信仰ゆえに、彼は義と認められた。
    (創世記15:6)
  4. 働く者にとって、報酬は恵みでなく、当然受け取る権利のあるものと見なされます。
  5. しかし、自分は働きのない、不敬虔な者であるが、神はそのような者をも義と認めてくださる方であると信じるなら、その信仰ゆえに、義と認めていただけるのです。
ダビデの例
  1.  ダビデもまた、行いなしに、神によって義と認められている人の幸いを、こう歌っています。
  2.  何と幸いなのだろう。罪をゆるしていただき、罪をおおわれた者たちは。
  3.  何と幸いなのだろう。主が決して罪を勘定されない者は。(詩篇32:1,2)
信仰と割礼
  1.  では、この幸いは、割礼を受けているユダヤ人だけに与えられるのでしょうか。それとも、無割礼の異邦人にも与えられるのでしょうか。
     先に述べたように、聖書は、アブラハムは、その信仰ゆえに、義と認められたと語っています。
  2. では、どのような状態で、義と認められたでしょうか。割礼を受けている時でしょうか。それとも、無割礼の時でしょうか。それは、割礼を受けている時ではなく、無割礼の時です。
  3. アブラハムは、信仰によって、それも無割礼の時の信仰に基づいて義とされ、その証印として、割礼というしるしを受けたのです。こうして、アブラハムは、無割礼の状態で信仰を持っている全ての信者の父となり、無割礼の者であっても義と認められることのしるしとなりました。
  4.  さらに、アブラハムは、単に割礼を受けているだけでなく、私たちの先祖アブラハムが、無割礼の時に持った、あの信仰の足跡に従って歩んでいるユダヤ人信者にとって、割礼の者たちの父ともなったのです。
約束は信仰の原則に基づく
  1.  神は、アブラハム、あるいは、その子孫に、あなたを世界の相続人にすると約束されましたが、それは律法の原則に基づいてではなく、信仰による義認の原則に基づいてです。
  2. もしも律法の原則によって相続人になれるなら、アブラハムの信仰は無価値になり、神の約束も無意味です。
  3.  実に、律法は怒りをもたらすものであり、律法がなければ、違反もありません。
  4.  それゆえ、恵みによる以上、全ては信仰の原則に基づいています。それで、この約束は、アブラハムの全ての子孫に、すなわち、律法に属する子孫に対してだけでなく、アブラハムの信仰に属する子孫に対しても成就されるのです。
  5.  私はあなたを多くの民族の父に任命したと記されているとおり、アブラハムは、私たち全ての父です。
  6.  アブラハムが信じた神は、死人を生かす方であり、まだ存在していない者を、すでに存在しているかのようにお呼びになる方です。アブラハムは、実に、この神の前で、私たちの父となったのです。
アブラハムの信仰
  1.  アブラハムは、希望が持てない時に、なお希望を抱いて信じました。それで彼は、多くの民族の父となりました。まさに、あなたの子孫はこのようになると語られた約束のとおりでした。
  2.  アブラハムは、およそ百歳になっていたため、自分の体がすでに死んでおり、サラの胎も死んでいると認めていました。しかし、その信仰は弱りませんでした。
  3. 神の約束ゆえに、不信仰になって動揺せず、かえって信仰が強められ、こうして、神に栄光を帰したのです。
  4. アブラハムは、神には約束されたことを成就することがおできになると、十分に確信していました。
  5. それゆえ、その信仰ゆえに、義と認められたのです。
私たちへの適用
  1.  義と認められたと書かれたのは、ただアブラハムのためだけではありません。
  2. 義と認められるべき者たち、すなわち、私たちの主イエスを死者たちの中からよみがえらせた方を信じる、私たちのためでもあります。
  3.  主イエスは、私たちの罪過のゆえに、死に引き渡されましたが、私たちの義認のゆえに、よみがえられたのです。

5

義認の与える喜びと希望
  1.  このように、義とされたことが信仰の原則に基づいているので、私たちは、私たちの主イエス・キリストのゆえに、神との間に平和を持っています。
  2. さらに、この方の御わざのゆえに、今、私たちの立っている、この恵みの中に入る特権をも与えていただいたのですから、私たちは、神の栄光にあずかる希望を持って、大喜びしているのです。
  3. そればかりか、私たちは患難の中にあっても喜んでいます。なぜなら、患難が働いて忍耐を生み出し、
  4. 忍耐が働いて良い品性を生み出し、この良い品性から、希望が生まれるからです。
  5. しかも、この希望は、私たちを失望させません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊が、私たちの心に、神の愛をあふれるばかりに注ぎ込んでくださったからです。
義認の与える救いと確信
  1.  それは、キリストが不敬虔な者たちのために、無力な私たちであるにもかかわらず、定められた時に、死んでくださったからです。
  2. 正しい人のためにでも死ぬ人はめったにいません。まれには、良くしてくれた人のために、あえて死ぬ人がいるかも知れません。
  3. しかし、私たちがまだ罪深い生き方をしていたときに、キリストは私たちのために死んでくださったのです。このことによって、神は私たちに対するご自身の愛を明らかに示しておられます。
  4. ですから、今すでにキリストの血によって義とされている私たちは、なおのこと、神のあの怒りからも救われます。
  5. 神は、私たちが神に敵対していたにもかかわらず、ご自分の御子の死によって、私たちをご自分と和解させてくださいました。
  6. 私たちは、神と和解しただけでなく、今この和解を与えてくださった私たちの主イエス・キリストによって、神を大いに喜んでいるのです。神が、このような私たちを、御子のいのちによって救ってくださるのは当然ではありませんか。
全人類の代表であるアダム
  1.  このように、ひとりの人アダムを通して、罪が世に入り、そしてこの罪を通して死が入りました。全ての者が罪を犯したため、死は全ての人に及んだのです。
  2. もちろん、律法が来る前から、罪はすでに世にありました。けれども、律法がなければ、罪は罪として認められません。
  3. ところが、まるで王のように、死はアダムからモーセまでの間も、人々を支配したのです。それも、アダムが犯した違反と同じ形で罪を犯さなかった人々をさえです。アダムは来たるべきる方のひな型なのです。
アダムとキリストとの違い
  1.  しかし、アダムの違反とキリストの恵みとでは結果が異なります。一人の違反のために多くの人が死んだのですから、なおのこと、神の恵み、すなわち、ひとりの人イエス・キリストの恵みの賜物は、どれほど多くの人々に満ちあふれることでしょう。
  2. さらに、この恵みの賜物は、罪を犯したひとりの人、アダムを通して来たものと異なります。なぜなら、さばきの場合、アダムの一つの違反のために、人は有罪の判決を下されることになりましたが、他方、恵みの場合は、多くの罪を犯した者に、義と認められる決定が下されることになったからです。
  3. もしひとりの人、アダムの違反によって、死が、そのひとりのゆえに、暴君のように支配したのであれば、なおのこと、恵みの賜物を受け、義認の賜物をあふれるばかりに豊かに受けている者たちは、ひとりの人イエス・キリストのゆえに、新しいいのちによって、王のように力強く生きることができるのです。
いのちの義認
  1.  こういうわけで、ちょうど一つの違反によって、全ての人が処罰を受けるという結果に至ったように、一つの義の行為によって、全ての人が義なるいのちを持つという結果に至りました。
  2. すなわち、ちょうどひとりの人の、あの不従順の行為によって、多くの者が罪深い性質を持つ者とされたように、ひとりの人の、あの従順の御わざによって、多くの者が正しい性質を持つ者とされたのです。
  3. 律法が入り込んで来たために、違反が増し加わりました。しかし、罪が増し加わったために、恵みもいっそう満ちあふれました。
  4. その結果、ちょうど罪が死によって人類を支配してきたように、今度は恵みが、信じる者を義とすることによって私たちを支配し、私たちの主イエス・キリストによって、永遠のいのちを得させたのです。

6

キリストと共に死んだ私たち
  1.  では、どうなのでしょうか。このまま罪の中にとどまり続けていれば、恵みが増し加わるとでも言うのでしょうか。
  2. とんでもないことです。私たちは、罪という主人に対して死んでしまっているのです。その私たちが、どうして、なおも罪の中に生き続けることができるでしょうか。
  3. それとも、キリスト・イエスにバプテスマされた私たちが、皆、キリストの死にバプテスマされたのだということを知らないのですか。
キリストと共によみがえった私たち
  1.  私たちは、あの、死へのバプテスマ(水のバプテスマ)が表しているように、キリストと共に葬られました。そして、その結果、新しいいのちの力によって生きる者となっているのです。ちょうど、キリストが御父の栄光ある力によって、死者たちの中からよみがえらされて、今生きておられるようにです。
  2. なぜなら私たちは、キリストと共に死んだことの型であるバプテスマが表しているように、キリストと共に死んだのですから、キリストと共によみがえったことの型でもあるバプテスマが表しているように、キリストと共によみがえらされて、そのいのちによって生きているからです。
罪に対して死んだ私たち
  1.  このことを知ってください。アダムの子孫としての古い私たちは、十字架に付けられました。ですから、私たちのからだを支配してきた罪は、その支配の座から降ろされてしまっています。私たちは、もはや奴隷のように罪に奉仕し続ける必要はありません。
  2. 一度死んだ者は、罪から義とされてしまっているからです。
神に対して生きている私たち
  1.  私たちはキリストと共に死んだのですから、キリストと共にいつまでも生き続けると信じます。
  2. それは、キリストが死者たちの中からよみがえっておられるので、もはや死ぬことがなく、死はもはやキリストを支配しないと知っているからです。
  3. 実に、キリストが死なれたのは、ただ一度だけ、罪に対して死なれたのです。そして、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。
  4. ですから、あなたがたも、事実、自分が罪に対して死んでいる事と、キリスト・イエスにあって、神に対して生きている事を、いつもしっかりと覚えていなさい。
罪にではなく神に捧げよ
  1.  ですから、あなたがたの死ぬべきからだを、これまで通り罪に支配させ続けて、その欲望に服従していてはなりません。
  2. また、あなたがたの手足を、不義を行う武器として、罪のために差し出し続けてもなりません。むしろ、死者たちの中からよみがえらされて生きている者らしく、あなたがた自身を神のために差し出し、あなたがたの手足を、義を行う武器として、神にささげきりなさい。
  3. そうするなら、罪があなたがたを支配し続けることはありません。なぜなら、あなたがたは律法による取り扱いの下にいるのではなく、恵みによる取り扱いの下にいるからです。
罪の奴隷と神の奴隷
  1.  ではどうなのでしょう。律法による取り扱いの下にいるのではなく、恵みによる取り扱いの下にいるのなら、たまには罪を犯してもかまわないでしょうか。とんでもないことです。
  2. このことを知らないのですか。自分自身を誰かにささげて、それに服従しているならば、その人は服従している相手の奴隷です。すなわち、罪の奴隷となって死に至るか、それとも従順の奴隷となって義に至るか、そのどちらかです。
神の奴隷である信者
  1.  神に感謝します。なぜなら、あなたがたは以前は罪の奴隷でしたが、バプテスマが型として表している教えに心から服従したからです。
  2. そうです、この教えに、あなたがたは引き渡されたのです。罪から解放されたあなたがたは、義のわざを行う奴隷とされたのです。
  3. これは、あなたがたの人としての弱さのゆえに理解しがたいことですから、私は人間的に説明しています。あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと無法に奴隷としてささげて、無法に至っていました。しかし今は、あなたがたの手足をこの神の義の御わざに、奴隷として決定的にささげて聖潔に至りなさい。
奴隷の結末
  1.  実に、あなたがたが罪の奴隷であった時、神の義に対しては自由気ままに生きていました。
  2. その時、あなたがたは、今となっては恥じていることから、どのような実を得ることができましたか。それらのものの結末は死です。
  3. しかし今、あなたがたは罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ているのです。しかも、その結末は永遠のいのちです。
  4. 罪からの報酬は死ですが、神からの賜物は私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

7

律法に対して死んだ
  1.  兄弟たちよ、私は律法を知っている人々に語っているのですが、ご存じの通り、律法とは人が生きている間だけ、その人に権限を持つものです。
  2. ですから、例えば結婚している女性の場合、夫が生きている間は、律法に縛られていますが、夫が死んだなら、夫に関する律法からは自由の身となります。
  3. それで、夫が生きているのに他の男の元に行くなら、姦淫の女と宣告されることになりますが、夫が死んだなら、律法から解放されているので、たとい他の男の元に行ったとしても、姦淫の女にはなりません。
  4. 私の兄弟たちよ。同様にあなたがたも、キリストの体が十字架につけられたことによって、律法に対して死んだ者とされているのです。その結果、今や、あなたがたは他の人、すなわち死者たちの中からよみがえられた方のものとされ、神のために実を結ぶ者となったのです。
御霊の力によって神に仕える
  1.  私たちが肉の支配下にあった時は、数々の罪深い情欲、すなわち、律法によって力付けられた情欲が、私たちの体の中で力強く働いていたため、死のために実を結んでいました。
  2. しかし今や、かつて私たちを縛り続けてきた律法との関係は断ち切られたので、私たちは律法から解放されているのです。その結果、私たちは、律法を努力して守り行うという古い法則によって生きるのではなく、御霊の力によって生きるという新しい法則によって、神にお仕えしているのです。
悪いのは律法ではなく罪である
  1.  ではどう言いましょうか。律法が罪の張本人なのでしょうか。とんでもないことです。それどころか、律法によらなければ、私は罪がどのようなものであるかを知らなかったのです。もし律法が「貪るな」と言わなかったなら、私は貪りがどのようなものであるかを知らなかったでしょう。
  2. ところが、この戒めによって、罪が機会を捕らえて、私の中にあらゆる貪りを引き起こしました。と言うのも、律法がなければ罪は不活発だからです。
律法に力を奪われたパウロの体験
  1.  この私も、かつて(信じた直後)は律法を忘れて生き生きとしていたのですが、戒めがやって来ると、逆に罪が生き生きとし始め、
  2. 私は全く力を失ったのです。それで私は、本来はいのちに導く戒めであるはずの律法が、実は死に至らせるものであることが判りました。
  3. なぜなら、罪は戒めによって機会を捕らえて、私をまんまと欺き、そうすることで私の力を奪ったからです。
極度に邪悪な罪
  1.  律法は聖なるもの、戒めもまた聖であり、正しく、また良いものです。
  2. では、この良いものが、私にとっては死の力となったのでしょうか。とんでもないことです。そうではなく、この良いものを使って死の力を働かせているのは、実に罪なのです。こうして、罪の正体が明らかになりました。すなわち、律法の戒めによって、罪が極度に邪悪なものであることが示されたのです。
私の中に住んでいる罪
  1.  律法が霊的なものであるのは、もちろんのことです。ところが、この私が肉的なのです。しかも、私は罪の下に奴隷として売られてしまっています。
  2. 本当に私は、自分のしていることが分かりません。自分の欲していることを実行しておらず、反対に、自分の憎んでいることを行っているからです。
  3. しかし、自分の欲していないことを行っているということは、律法が正しいと認めているということです。
  4. このことから今や明らかなのは、悪を行っているのが、もはや私ではなく、実に、私の内に住んでいる罪だということです。
私の欲しないことを行う罪
  1.  というのも、私の中に、つまり私の肉の中に、善が住んでいないことを知っているからです。なぜなら、善を行いたい意志が私にあっても、善を行うことはないからです。
  2. 私は自分の欲している善を行っていません。その反対に、欲していない悪を実行しています。
  3. 自分の欲していないことを行っているということは、それを行っているのが、もはや私でなく、私の中に住んでいる罪だということです。
誰が哀れな私を救うのか
  1.  それで、善を行うことを欲しているその私の中に、悪を行う法則が存在していることを発見したのです。
  2. なぜなら、私の内なる人は、神の律法に喜んで同意していますが、
  3. 私の体の中に、私の心の法則に対して戦いを挑み続け、私の体の中にある罪の法則によって私を虜にし続ける、もう一つの別の法則があることが分かるからです。
  4. ああ、私は、何と哀れな人間でしょう。だれが私を、この死のからだから救い出し続けてくれるでしょうか。
  5. しかし、神に感謝すべきかな、神は、私たちの主イエス・キリストによって、私を救い出してくださいます。要するに、この私は、理性では神の法則に従っていますが、肉では罪の法則に従っているのです。

8

いのちの御霊の法則
  1.  それで、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の法則が、あなたを、罪と死の法則から解放したのですから、
  2. 今や、キリスト・イエスの中にある者たちに有罪の判決が下ることは、絶対にありません。
  3. 肉のために律法が無力となり、律法にはどうすることもできなかったのですが、実に神は、ご自身の御子を、罪のからだに似た形で遣わして、罪のためのいけにえとされ、御子のからだにおいて、罪を処罰されました。
  4. こうして、肉に従って歩む者ではなく、御霊に従って歩む者とされた私たちに、律法の求める義(神への愛と従順)が達成されたのです。
肉の思いは死である
  1.  なぜなら、肉に従っている者たちは、肉に関することを思い続けていますが、御霊に従っている者たちは、御霊に関することを思い続けているからです。
  2. 肉の思う事は死ですが、御霊が、いのちと平安の思いを与えておられるからです。
  3. けれども、肉は、神に対する敵対心を抱いています。肉は神の律法に服従しないばかりか、服従できません。
  4. ですから、肉にある者たちには、神を喜ばせることができません。
死ぬべき体をも生かす御霊
  1.  しかし、あなたがたには、神の御霊が住んでおられるのですから、あなたがたは肉の支配の中ではなく、御霊の支配の中にいます。誰であれ、キリストの御霊を持っていないなら、その人はキリストに属してはいません。
  2. けれども、キリストがあなたがたの中におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が、義認の御わざのゆえに、あなたがたのいのちの力です。
  3. イエスを死者たちの中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたの中に住んでおられるのですから、キリスト・イエスを死者たちの中からよみがえらせた方は、あなたがたの内に住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、必ず生かし続けてくださいます。
肉を不活発にする御霊
  1.  それで兄弟たちよ。私たちは、御霊に従って生きる責任を負っていますが、肉の言いなりに生き続けなければならない責任など、負ってはいません。
  2. ですから、もしあなたが今も肉に従って生きていると言うなら、あなたは(救われていないので)、やがて確実に死にます。しかし、もしあなたが、罪によって支配されている体の活動を、御霊によって、不活発にしていただいているなら、あなたはいつまでも生き続けます。
  3. 全て神の御霊によって導かれている人々、まさにそのような人々こそが、神の子どもだからです。
神の子とする御霊
  1.  あなたがたの受けた御霊は、あなたがたを再び奴隷にして、恐怖を与えるような方でありません。むしろ、あなたがたを神から生まれた子としてくださった方です。ですから、私たちは御父に「お父さん」と叫ぶことができます。
  2. この御霊ご自身が、私たちの霊と共に、私たちが神の子であることを、証言しておられるのです。
  3. 子どもであるなら、相続人でもあります。神の相続人であり、キリストとの共同相続人です。ただし、キリストと共に栄光にあずかるからには、キリストと共に苦しまなければなりません。
被造物の将来の栄光
  1.  しかし、私はこう結論します。今の時の苦しみは、私たちに明らかにされようとしている栄光と、まったく比べる価値さえないと。
  2. 被造物も、神の子たちが栄光の姿を現す時を、切実に待ち望んでいます。
  3. なぜなら、現在、被造物は空しい状態に閉じ込められていますが、それは被造物自らの意志にはよるのではなく、神が目的を持って、そのように服従させておられるからです。ですから被造物には、回復の望みがあります。
  4. それで、被造物自身も、やがて、滅びの束縛から解放されて、栄光ある神の子たちの自由な世界に入る望みを持っているのです。
私たちの体の贖い
  1.  ご存じのように、全被造物は、この時に至るまで、共にうめき、共に産みの苦しみをしています。
  2. また、それだけでなく、私たち自身も、贖い金である御霊をいただいているので、子とされること、すなわち私たちの体が贖われることを切望しながら、心の中でうめいています。
  3. 私たちは、まさに、この望みによって救われたのです。そもそも、見えている望みは望みではありません。誰でも見えていることをどうしてなおも望むでしょうか。
  4. しかし、私たちは見ていないものを望んでいるのですから、忍耐深く、熱心に待ち続けます。
神のご計画
  1.  それと同時に、実に御霊も、弱い私たちを助け続けておられます。実のところ、私たちが、何をどう祈ればよいのか分からない時も、その言葉にならないうめくような祈りによっても、御霊ご自身がとりなしてくださいます。
  2. 私たちの心の中を探るこの方は、私たちの霊の思いが何であるかを知っておられるので、神のみこころに従って、聖徒たちのためにとりなしておられるのです。
  3. しかし、このことは分かっています。神は、神を愛する者たちと共に働いて、全てのことを、神の目的に従って召されている者たちの益となるように動かしておられるのです。
  4. というのも、神は、あらかじめ選ばれた者たちを、ご自身の御子の姿に似るようにと、あらかじめ定めておられるからです。こうして御子が、多くの兄弟たちの中で長子となられるのです。
  5. 神は、あらかじめ定めた者たちを、召してくださいました。召した者たちを、義と認めてくださいました。そして、義と認めた者たちを、栄光にあずからせてくださったのです。
私たちの味方である御父
  1.  それでは、これらのことについて、私たちは何と言いましょうか。神が私たちの味方であられるのですから、いったいだれが私たちに敵対できるでしょうか。
  2. 神は、ご自分の御子を惜しまず、むしろ私たち全てのために、ご自分の御子を死に渡されたほどの方です。その神が、どうして御子と共に全てのものを、私たちに与えてくださらないことがあり得るでしょうか。
  3. だれが、神によって選び出された者たちを、責めることができるでしょうか。義と認めておられるのは、神なのです。
私たちの味方であるキリスト
  1.  だれが、これから先、私たちをさばくことができるでしょうか。死なれた方、いやむしろ、よみがえられた方、キリスト・イエスが、神の右に座して、私たちのためにとりなし続けておられます。
私たちの味方である聖霊
  1.  だれが、私たちを、キリストのこの愛から切り離すことができるでしょう。苦しみ、それとも圧迫、それとも迫害、それとも飢え、それとも裸、それとも危険、それとも剣ですか。
  2. あなたのために、私たちは一日中、殺されています。私たちは屠殺場の羊と見なされました。(詩篇44:22)まさに、こう記されている通りです。
  3. しかし、そのような状況においても、私たちを愛してくださった方を通して、私たちは圧倒的に勝利しているのです。
  4. それゆえ、私はこう確信させられています。死(の脅し)も、命(の誘惑)も、御使いも、権威も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
  5. 高位の者も、下位の者も、いかなる被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことは、断じてできないと。

9

パウロの悲しみ
  1.  私はキリスト者として真実を語り、偽りを言いません。私の良心もまた、聖霊によって証言します。
  2. 私には大きな悲しみがあり、私の心に絶え間のない痛みがあるのです。
  3. 肉による私の同族、私の兄弟たちのためならば、この私がキリストから捨てられて呪われた者になりたいほどです。
  4. 彼らはイスラエル人です。子とされること、栄光、契約、モーセの律法、礼拝、約束、全て彼らのものです。
  5. 族長たちも彼らのものであり、さらに、キリストも、肉によれば彼らからお生まれになりました。この方こそ、万物の上におられ、永遠に誉め讃えられるべき神であられます。アーメン。
信仰は遺伝しない(イシュマエルとイサク)
  1.  しかし、神の約束が無効になったわけでは決してありません。イスラエルの子孫が皆イスラエル人ではないし、
  2. アブラハムの子孫だからといって、皆がアブラハムの子どもというわけでもないからです。むしろ、イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる。(創世記21:12)とある通り、
  3. 肉の子どもが神の子どもなのではなく、約束の子どもが子孫として認められるのです。
  4. 約束のみことばはこう語っています。
    この季節に私は必ず来ます。サラには男の子が必ずいます。(創世記18:14)
信仰は選びによる(エサウとヤコブ)
  1.  それだけでなく、私たちの父イサクひとりによって身ごもったリベカの場合もそうです。
  2. 子どもたちがまだ生まれてもおらず、善も悪も何も行っていないのに、兄は弟に仕えると彼女に告げられました。
  3. 選びによる神のご計画が、人間の働きによらず、神の召しによって確立するためです。
  4. こう記されている通りです。わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。(マラキ書1:2,3)
神の絶対主権
  1.  ではどうなのでしょうか。神の側に不正があるとでも言うのでしょうか。とんでもないことです。
  2. なぜなら、神がモーセに、こう語っておられるからです。
    わたしがこの者を憐れむと決めた以上、誰であろうと憐れみ、わたしがこの者をいつくしむと決めた以上、誰であろうといつくしむ。(出エジプト記33:19)
  3.  こういうわけで、求める者、努力する者の意欲とは関係なく、憐れんでくださる神しだいなのです。
  4. ですから、聖書はパロに対して、こう告げています。
    わたしはお前を立てたのは、お前によってわたしの力を示すため、また、わたしの名を全地に告げ知らせるためである。(出エジプト記9:16)
  5. このように神は、ご自分が憐れむと決めた者を憐れみ、頑なにすると決めた者を頑なにされるのです。
人の反論と神の答え
  1.  すると、あなたは私に、こう言うでしょう。「なぜ神は人をとがめるのか。神の決定にはだれも逆らえないではないか。」
  2. ああ人よ。それよりも、神に言い逆らうあなたは、自分がいったい何者なのかを考えてみなさい。陶器が陶器師に向かって、「なぜ私をこのように作ったのか」と言えますか。
  3. それとも陶器師は同じ粘土の固まりから、高貴な器でも、卑しいことに用いる器でも作る権利を持っていないでしょうか。
神の憐れみ
  1.  神は怒りを現して、ご自身の力を示そうとされましたが、自ら滅びを招いて御怒りを受けるべき器に対して、そのさばきを大いなる忍耐をもって引き延ばしてくださいました。
  2. それどころか神は、ご自分の栄光を現すために用いようと、前もって備えておられた憐れみの器に対して、ご自身の豊かな栄光を知らせてくださったのです。
  3. 神は、その憐れみの器として、私たちをユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも、選び出してくださいました。
  4. 実に、これは、神がホセア書の中でも語っておられる通りです。
    わたしの民でない者を、わたしの民と呼び、愛されない者を、愛されている者と呼ぼう。(ホセア書2:23)
  5. 「お前たちはわたしの民ではない」と、わたしが人々に語ったその場所で、その人々が、「生ける神の子どもたちである」と、呼ばれるようになる。(ホセア書1:10)
  6. イザヤも、イスラエルのために次のように叫んでいます。
    たといイスラエルの民の数が、砂の数のように多くとも、残された者が救われる。
  7. 主は地上に約束を全て成就し、速やかに実現しようとしておられる。(イザヤ書10:22,23)
  8. また、次のようにイザヤは前から語っています。
    もし万軍の主が、私たちに子孫を残してくださらなかったなら、私たちもソドムのようになり、ゴモラと同じようになっていたはず。(イザヤ書1:9)
イスラエルの失敗の原因
  1.  それでは、何と言いましょうか。異邦人は義を追い求めていなかったのに義を得ました。彼らは信仰に基づいて義を得たのです。
  2. ところが、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。
  3. どうしてでしょうか。それはイスラエルが、信仰に基づいて義を追い求めず、行いに基づいて義を得ることができるかのように、義を求めたからです。彼らは、つまずきの石につまづいたのです。
  4. こう記されている通りです。
    見よ。わたしはシオンにつまずきの石、障害の岩を置いている。しかし、それに信頼する者が辱められることは決してない。(イザヤ書28:16)

10

  1.  兄弟たちよ。彼らのために、私が心から願い、また神に祈っているのは、彼らが救われることです。
  2. なぜなら、彼らは確かに神に対して熱心であるからです。それは私も証しします。しかし、彼らの熱心さは、正しい知識に基づいていません。
  3. なぜなら彼らは、この神の義の御わざを知ろうともせず、自分の義を立てることに熱心であるため、神の義の御わざに服従しないからです。
  4. 実に、信じる全ての者にとって、義としてくださるキリストが、律法の役目を完全に終わらせてしまわれたのです。
義認の真理は遠くにない
  1.  モーセは、律法に基づく義について、こう書いています。
    戒律を守って生きる者は、戒律によって生きていかねばならない。
  2. しかし、信仰による義認は、こう語ります。
    あなたは心の中で、言ってはならない。誰が天に上り、それを取って来るだろうかと。(申命記30:12)キリストがそれを、取って来てくださったのです。
  3. また、こうも言ってはなりません。
    「誰がよみに下り、それを引き上げるだろうかと。」
    キリストがそれを、死人の中から引き上げてくださったのです。
義認の真理は近くにある
  1.  では、聖書は何と語っているでしょうか。
    ことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。
    この「ことば」とは、私たちが宣べ伝えている信仰の告白のことです。
  2. すなわち、もしあなたが口でイエスを主と告白し、神がこの方を死者たちの中からよみがえらされたと、あなたの心で信じるなら、あなたは必ず救われるのです。
  3. 人は心で信じて義認に至り、口で告白して救いに至ります。
  4. 聖書は、こう語っています。
    彼を信じる者は、誰であろうと、決して辱められることがない。(イザヤ書18:16)
  5. なぜなら、ユダヤ人とギリシア人の差別はないからであり、キリストが全ての者の主であられ、主を呼び求めている全ての者に対して、恵み豊かであられるからです。
  6. 誰でも主の御名を呼び求める者は、みな救われる(ヨエル書2:32)からです。
パウロへの反論
  1.  しかし、まだ信じたことのない方を、どうやって「呼び求める」ことができるだろうか。聞いたこともない方を、どうやって信じることができるだろうか。だれかが宣べ伝えてくれなければ、どうやって聞くことができるだろうか。
  2. 遣わされないことには、どうやって宣べ伝えることができるだろうか(と言うことでしょう)。
パウロの答え
 それについては、次のように記されています。
 良きおとずれを宣べ伝えている者の足は、何とタイムリーに来ることか。(イザヤ書52:7)
  1.  ところが、(福音を聞いた)全ての者が、福音に聞き従ったわけではありません。イザヤがこう語っている通りです。
    主よ、私たちの聞いたことを、だれが信じたでしょうか。(イザヤ書53:1)
  2. ですから、信仰は聞くことの結果ですが、その「聞くこと」とは、キリストについてのみことばを聞くことによるのです。
パウロの反論
  1.  今度は私が尋ねます。彼らは本当に、一度も福音を聞いたことがなかったのですか。いいえ、それどころか、こう記されています。
    地の全ての所に向けて、彼らの声は出て行った。国の隅々に至るまで、彼らのことばは出て行った。(詩篇19:4)
  2. さらに尋ねます。イスラエルは本当に知らなかったのですか。まずモーセは、こう語っています。
    わたしは、わが民でない者たちによってあなたがたのねたみを引き起こそう。無知な民によって、あなたがたを怒らせよう。(申命記32:21)
  3. 次にイザヤは、大胆にもこう語っています。
    わたしを探していない者たちにわたしは見出された。わたしを尋ねない者たちにわたし自身を明らかにした。(イザヤ書65:1)
  4. しかし、イスラエルに対しては、こう語っています。
    一日中、わたしの手を伸ばしていた。不従順で反抗する民に向けて。(イザヤ書65:2)

11

イスラエルは拒絶されていない
  1.  では言います。神はご自分の民を、自ら拒絶してしまわれたのでしょうか。とんでもないことです!この私自身もイスラエル人です。アブラハムの子孫、ベニヤミン族の出です。
  2. 神が選んだご自分の民を、捨てたりはなさいません。
残された者がいる
 それともあなたは、聖書がエリヤの箇所で何と語っているか知らないのですか。彼はイスラエルを神に訴えました。
  1. 主よ、あなたの預言者たちが殺されました。あなたの祭壇が壊されました。残されたのは、この私だけです。しかも、私はいのちを狙われています。(第1列王記19:10)
  2. しかし、神は彼に答えて何と語られたでしょうか。
    わたし自身のために、七千人を残した。バアルにひざまずかなかった者たちを。(第1列王記19:18)
  3. 今の時代も同じです。恵みによって選ばれた残りの民がいます。
  4. 恵みによる以上、もはや働きによるのではありません。そうでなければ、そんな恵みは、恵みとは言えません。
他の者は頑なにされた
  1.  ではどうなのでしょうか。切に求め続けているものを、イスラエルは獲得できず、選ばれた者が獲得しました。他の者たちは、心が頑なにされたのです。こう書かれている通りです。
  2. 神は彼らに深い眠りの霊、見えない目、聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。(申命記29:4)
  3. ダビデもこう語っています。
    彼らの食卓は、彼らにとって、罠、網、つまずき、報復になれ。
  4. 彼らの目は暗くされ、見えなくなれ。そして、彼らの背を低く屈ませてください。(詩篇69:22,23)
救いが異邦人に及ぶ
  1.  では言います。彼らはつまずいて、二度と起き上がることができないのでしょうか。とんでもないことです!むしろ神は、彼らの脱落によって、異邦人たちに救いをもたらし、イスラエル人たちには、ねたみを引き起こそうとしておられるのです。
  2. 言うならば、彼らの脱落によって世界が祝福され、彼らの失敗によって異邦人が祝福されたのですから、彼らが完成される時には、どれほどの祝福がもたらされることでしょうか。
イスラエルへのパウロの熱意
  1.  ですから、あなたがた異邦人に言います。この私は異邦人のための使徒なので、なおさら、私の務めを光栄に思うとともに、
  2. 何としてでも、私の同胞にねたみをを引き起こして、彼らの幾人かでも救いたいのです。
  3. なぜなら、彼らの捨てられたことが、世界と神との和解となったのですから、ましてや彼らが受け入れられることは、死者の中からの復活となるからです。
  4. 初穂が聖ければ、こねた粉も聖く、木の根が聖ければ、その枝も聖いのです。
異邦人よ高ぶるな
  1.  けれども、枝のいくらかが切り取られ、あなたがたは野生のオリーブであるのに、その枝の間に接ぎ木されて、そのオリーブの木の根から養分を得るようになったのですから、
  2. その枝に対して誇ってはなりません。たとい誇っても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。
  3. それでもあなたは言うでしょう。「私が接ぎ木されるために、枝が切り取られたのだ」と。
  4. その通りです。彼らは不信仰ゆえに切り取られ、あなたは信仰ゆえに立っています。高ぶらず、むしろ神を恐れていなさい。
神の慈愛に留まれ
  1.  神は元の木から生えた枝さえ惜しまなかったのですから、どうしてあなたを惜しまれるでしょうか。
  2. それゆえ見なさい、神の慈愛と厳しさとを。倒れた者たちの上には厳しさがあり、あなたの上には、神の慈愛に留まり続ける限り、神の慈愛があります。ただし、もしそうしなければ、あなたも必ず切り取られるのです。
イスラエル回復の希望
  1.  しかし彼らも、もし不信仰に留まり続けなければ、接ぎ木されます。神には彼らを再び接ぎ木することが可能だからです。
  2. なぜなら、あなたがもともと野生のオリーブの木から切り取られ、栽培されたオリーブの木に、自然に反して接ぎ木されたのですから、本来の枝なら、はるかに容易に元の木に接ぎ木されるからです。
イスラエル回復のご計画
  1.  ですから兄弟たちよ。私は、この奥義について、あなたがたに是非知ってもらいたいのです。そうすれば、うぬぼれたりしないはずです。その奥義とは、イスラエルの一部がかたくなになっているのは、異邦人の成就が到来するまでであり、
  2. こうして、全てのイスラエルが必ず救われるということです。こう書かれている通りです。
    シオンから救う者が来る。彼はヤコブから不敬虔を取り去る。
  3. これが彼らのためのわたしからの契約である。その時わたしは彼らから罪を取り除く。(イザヤ書59:20,21)
全ての者を憐れむ神
  1.  それで、福音によると、彼らはあなたがたのゆえに神の敵ですが、他方、選びによると、先祖たちのゆえに神に愛されています。
  2. 神の恵みによる賜物と召しに、変更はないからです。
  3. あなたがたであっても、以前は神に不従順でしたが、今、イスラエル人たちの不従順のゆえに、憐れみを受けているのです。
  4. そのように、今、この人々は、あなたがたの受けた憐れみのゆえに、不従順になっていますが、やがて、必ず憐れみを受けることになります。
  5. なぜなら、神が全ての者を不信仰の中に閉じ込められたのは、全ての者を憐れむためであるからです。
偉大なる神
  1.  ああ、神の知恵と知識とは、何と豊かで奥深いことでしょう。そのご判断は何と探究しがたく、その道は何と測りがたいことでしょう。
  2. だれが主の心を知り抜いただろうか。だれが神の相談役になれただろうか。(イザヤ書40:13)
  3. だれが神に貸しを作り、後で返してもらうのか。(ヨブ記41:11)
  4. 万物は、神から発し、神によって成り、神のためにあるのです。この方に、栄光が永遠から永遠までありますように。アーメン。

12

からだを献げなさい
  1.  ですから、兄弟たちよ、神の憐れみのゆえに、あなたがたに切に願います。あなたがたのその体を、神に喜んでいただける、生きた聖なるいけにえとして、神にきっぱりと献げてください。それこそ、あなたがたの思慮ある礼拝です。
  2. この時代の人々と同じ姿にされるのを許していてはなりません。むしろ、考え方を全く新たにすることによって、内側から変えていただき続けなさい。そうするなら、神のみこころが、どれほど素晴らしく、また喜ばしく、また完全であるかを、実証し続けることになります。
各人に与えられた賜物
  1.  私に与えられているこの恵みのゆえに、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、慎み深い考えで行動するように心掛けなさい。神は一人ひとりに、決められた分量の信仰を与えてくださっているからです。
  2. ちょうど一つのからだの中に多くの部分があっても、全ての部分が同じ働きを行っていないように、
  3. 大勢いる私たちも、キリストにあって一体であり、それぞれが互いにその部分なのです。
様々な賜物
  1.  私たちは、神の恵みによって、いろいろな賜物が与えられているのですから、それが預言の賜物であれば、信仰の割合に従って預言しなさい。
  2. 奉仕の働きも、与えられた力の範囲で奉仕し、教える者は与えられた力の範囲で教え、
  3. 励ます者は与えられた力の範囲で励ましなさい。分け与える者は惜しみなく、指導する者は熱心に、慈善を行う者は喜んでしなさい。
兄弟愛を示しなさい
  1.  愛に偽りがあってはいけません。悪を忌み嫌って離れ、善と親しく結び付いていなさい。
  2. 家族的な暖かい愛で兄弟を愛し、まず自分の方から相手に敬意を示し、他人を常に優先させ、
  3. 怠けず熱心に、熱く燃える霊で、主に仕え続けなさい。
  4. 希望をもって喜びつつ、苦境にあっては忍耐深く、根気よく継続して祈りなさい。
  5. 困っている聖徒たちの必要を分かち合い、親切を示す機会を熱心に探し続けなさい。
へりくだりなさい
  1.  迫害する者たちを祝福し続けなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません。
  2. 喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい。
  3. 互いに思いを一つにしなさい。高ぶった思いを持たず、むしろ身分の低い者たちと交わりなさい。自分は賢い人間だと、人に思わせようとしてはいけません。
神の手に委ねなさい
  1.  誰に対しても、悪に対して悪で報いることをせず、全ての人の前に自分自身の良い姿を示すことができるように努めなさい。
  2. 可能な限り、あなた自身に関して、全ての人との平和を求めなさい。
  3. 愛する者たち。自分で復讐してはいけません。むしろ、お怒りになる神に任せなさい。こう書かれてあるからです。復讐は、わたしのすること。私が報いる、と主が言われる。(申命記32:35)
  4. それよりも、あなたの敵が飢えているなら、食べさせなさい。渇いているなら飲ませなさい。そうすることで、その人の頭に燃える炭を積み上げることになる(箴言25:21,22)と書いてあるとおり、
  5. 悪に征服されてはいけません。むしろ、善によって悪に勝利し続けなさい。

13

権威者に従いなさい
  1.  全ての人は、上に立つ権威に服従しているべきです。なぜなら、神によらない権威はなく、今ある権威は、神が立てておられるのだからです。
  2. ですから、権威に逆らっている者は、神の制度に対して逆らっているのです。権威に逆らっている者は、必ず自分自身にさばきを招くことになります。
  3. 権威を恐れるのは、正しいことをしている者ではなく、悪を行っている者です。ですから、権威を恐れずに過ごしたいなら、正しい行いをしていなさい。そうすれば、あなたは権威者からほめられます。
  4. なぜなら、彼は神のしもべであって、あなたの益のために立てられているからです。けれども、もしあなたが悪を行っているなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいません。悪を行う者の上に怒りを下す神のしもべなのですから。そのようなわけで、あなたがたは、自ら従順になる必要があります。
  5. それは、この怒りのためだけでなく、自分自身の良心のためにもです。
納税の義務を果たしなさい
  1.  税金を納めなければならないのも、同じ理由からです。彼が神の公務員であり、実にこの務めのために励み続けているからです。
  2. 果たすべき義務のある全ての人に、義務を果たしなさい。税を納めるべき人には税を納め、賦課金を払うべき人には賦課金を払い、恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい。
互いに愛し合いなさい
  1.  だれに対しても、お互いに愛し合うこと以外に、どんな負債をも負ってはいけません。他人をいつも愛している人は、戒めを全うしているのです。
  2. 姦淫を犯すな、殺すな、盗むな、貪るな、またその他、律法の中に、どのような戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という、この一言に要約されています。
  3. このような愛は、隣人に悪を働いたりしません。ですから愛は戒めの完成なのです。
キリストを着なさい
  1.  あなたがたは、今がどのような時かを知っているのですから、なおさらです。眠りから目を覚ますべき時がもう来ています。今は、私たちが信じた時よりも、救いが間近に迫っています。
  2. 夜は進み、夜明けが近づきました。ですから、闇のわざをきっぱり捨て去り、光の武具を直ちに身に付けましょう。昼間の者として、美しく歩む者になると心を決めようではないですか。
  3. 浮かれ気分、酒酔い、性的不品行、無軌道、争い、ねたみで歩んでは絶対になりません。
  4. むしろ、主イエス・キリストを直ちに着なさい。肉的なことに心を用いて、情欲に引き込まれていてはなりません。

14

信仰の弱い者を受け入れなさい
  1.  さて、「信仰の弱い者(ユダヤ人信者)」を受け入れてあげなさい。意見の違いで言い争ってはいけません。
  2. 何を食べてもかまわないと信じている者もいますが、「信仰の弱い者(ユダヤ人信者)」は、菜食にこだわっています。
  3. 肉を食べる人は食べない人を馬鹿にするような態度を取ってはいけませんが、肉を食べない人も食べる人をさばくのを止めなさい。神がその人を快く受け入れておられるのですから。
  4. いったい、何様のつもりですか。他人のしもべをさばくとは!自らの主によって人は立ち、あるいは倒されるのです。立っている者がいるなら、それは主に立たせる力があるからです。
それぞれが確信を持ちなさい
  1.  ある日を他の日より大切だと判断する人もいれば、どの日も同じだと判断する人もいます。一人ひとりが、自分の心で確信を持っていなさい。
  2. 日を重んじる人は主のために重んじています。肉を食べる人も主のために食べています。なぜなら、神に感謝して食べているからです。肉を食べない人も主のために食べないで、神に感謝しているのです。
生きるも死ぬも主のため
  1.  なぜなら、私たちの中で、自分のために生きている者はだれ一人なく、自分のために死ぬ者もだれ一人いないからです。
  2. 生きるなら主のために生き、死ぬなら主のために死にます。ですから、生きるにしても死ぬにしても、私たちは主のものです。
  3. キリストが死んで、よみがえられたのは、まさにこのためです。こうしてキリストは、死んだ者と生きている者との主となられたのです。
裁くのは神である
  1.  それなのに、なぜあなたは自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜあなたは自分の兄弟を見下すのですか。私たちは皆、やがて神の審判の前に立たなければならないのです。
  2. こう書かれています。
    わたしは生きていると主が言われる。全ての膝がわたしに向かってかがみ、全ての舌が神に告白するようになる。(イザヤ書45:23,49:18)
  3. ですから、私たち一人ひとりが、自分自身についての報告書を神に提出しなければならないのです。
食物で人を躓かせてはならない
  1.  ですから、これからは、互いに人をさばくのをやめなさい。むしろ、兄弟を妨げたり、つまずかせたりするものを置いていないかどうか、自分をさばきなさい。
  2. ――私は主イエスの教えによって、こう理解し、また確信しています。すなわち、それ自体で汚れているものなど、何一つありませんが、それが汚れていると考える人にとって汚れているだけです――
  3. なぜなら、もしあなたの兄弟が、食事のことで悲しい思いをさせられているなら、あなたはもはや愛によって歩んでいないからです。キリストは、あなたの兄弟のためにも死なれたのです。その兄弟を、あなたの食事によって滅ぼしてはなりません。
食物より平和を優先させよ
  1.  ですから、あなたが良いと思っていることが、非難されることのないように気を付けていなさい。
  2. 神の支配される所は、食べたり飲んだりするような場所ではなく、聖霊による義と平和と喜びの場所であるからです。
  3. ですから、このような態度でキリストに仕えている人こそ、神に大いに喜ばれ、人々にとっても有益な人です。
互いの益を求めよ
  1.  そのようなわけで、教会内の平和に関することや、徳を高めること、すなわちお互いの利益になることを熱心に求めましょう。
  2. 神のお働きを、食物のことで破壊していてはいけません。実際のところ、食物は全て聖いのです。ただし、人をつまずかせるような方法で食べる人にとっては悪です。
  3. 兄弟をつまずかせないために、肉を食べず、酒も飲まないというなら、それは立派なことです。
信仰によって判断せよ
  1.  あなたは自分の確信していることを、自分と神との間で、心に保っていなさい。自分が正しいと確信していることについて、心に何のとがめもない人は幸いです。
  2. けれども、心にとがめを感じながら食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが正しいと確信して食べているのではないからです。どんなことでも、それが正しいと確信していないのに行うなら、それは罪です。

15

隣人を喜ばせるべき
  1.  それで、私たち力のある者は、力の弱い人たちの弱さを担ってあげるべきです。自分自身を喜ばせていてはいけません。
  2. 一人ひとりが、徳を高めるのに役立つことをして、隣人に喜びを与えるべきです。
  3. なぜならキリストでさえ、ご自分を喜ばせることをされなかったからです。こう書かれている通りです。
    あなたをあざける者たちのあざけりが、私の上に降りかかった。(詩篇69:9)
  4. さて、昔書かれたみことばは、全て私たちを教えるためにあります。聖書は忍耐と励ましを与え、私たちに希望を持たせます。
  5. どうか、この忍耐と励ましを与えてくださる神が、あなたがたがキリストに見ならって互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
  6. こうして、あなたがたが心を一つにして、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神を誉めたたえ続けることができますように。
キリストの模範に従う
  1.  キリストが神の栄光を現すために、私たちを受け入れてくださったのですから、そのように、あなたがたも互いに進んで受け入れ合いなさい。
  2. 忘れてはいけません。キリストはイスラエル人たちに仕える者となられて、神が真実な方であることを示してくださったのです。こうして、先祖たちに与えられている約束が成就し、
  3. また異邦人も神を誉め讃える者となって、恵みが証しされました。次のように記されている通りです。
    このことのゆえに、私は異邦人の間にあって、あなたを公に告白します。そして、あなたの御名に賛美をささげます。(詩篇18:49)
  4. 聖霊はこのようにも語っておられます。
    喜べ、異邦人たちよ。主の民と共に。(申命記32:43)
  5. さらに、こうも語っておられます。
    全ての異邦人よ。主を誉めよ。諸国の民よ。主を賛美せよ。(詩篇117:1)
  6. さらにイザヤも、こう語っています。
    エッサイから根が出る。異邦人を治めるために立ち上がる方。この方に、異邦人は望みをかける。(イザヤ書11:10)
  7. どうか望みの神が、信仰の働きによって、あなたがたをあらゆる喜びと平安によって満たしてくださいますように。そうなることによって、あなたがたを、聖霊の力によって、望みに満ち溢れさせてくださいますように。
パウロの任務
  1.  私の兄弟たちよ。あなたがたが善意にあふれていて、十分な知識にも満たされているので、お互いに強制し合う力を持っていることは、私も十分に確信しています。
  2. それでもなお、あなたがたに、この手紙のある部分で思い切って大胆に書いたのは、神が私に与えてくださったこの恵みを、もう一度思い起こしてほしいからです。
  3. 私はこの恵みによって、異邦人のために、キリスト・イエスに仕える者とされました。異邦人を、聖霊によって聖められた、神に喜んで受け入れられるささげ物としてささげるために、神の福音に祭司として仕えているのです。
パウロの伝道精神
  1.  ですから私は、この神への奉仕に関して、キリスト・イエスにあって誇らしい喜びを持っています。
  2. 実のところ私は、キリストご自身が、異邦人を従順にならせるために、私を通して成し遂げてくださったこと以外に、何も語ることはありません。キリストは、ことばと働きによって、
  3. しるしと奇跡の力によって、すなわち御霊の力によって、私を用いて、エルサレムからイルリコの近辺に至るまでキリストの福音を満たしてしまわれました。
  4. 私は、他人が据えた土台の上に建てないようにと、まだキリストの御名が知られていない所に福音を宣べ伝えようと全力を尽くしてきました。
  5. 次のように記されているとおりです。
    彼について知らされなかった者たちが見るようになる。聞いたことのなかった者たちが、悟るようになる。(イザヤ書52:15)
パウロの旅行計画
  1.  私が皆さんの所に行こうとして、何度も妨げられてきたのは、こういうわけでもあったのです。
  2. しかし、今はもうこの地域に私の働く場所はありませんので、スペインに行くことが許されたときは、ぜひ皆さんの所に行きたいという強い願望をここ数年来持っています。
  3. そうなればローマに立ち寄って、皆さんとお会いして、交わりを持つことによって少しでも心が満たされ、それからスペインに向けて皆さんに送り出していただけたらと望んでいるのです
  4.  しかし今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムに行こうとしてます。
  5. なぜなら、マケドニアとアカヤの人々が、エルサレムにいる聖徒たちの中の貧しい人々のために、喜んで援助をしたいと考えたからです。
  6. 確かに喜んでそうしたいと考えたのですが、エルサレムにいる聖徒たちに対してそうすべき負債があるのも事実です。異邦人は彼らから霊的な祝福にあずかっているのですから、物質的なもので奉仕する負い目があるのです。
  7.  それで、この援助金の働きを済ませて、この果実を彼らに届け終えてから、私は皆さんのいるローマを通って、スペインに行こうと思っています。
  8. 私が皆さんの所に行く時は、必ずキリストからの祝福に満たされて行くことになると知っています。
パウロの祈りの要請
  1.  そこで、兄弟たち皆さんが、私たちの主イエス・キリストのゆえに、また御霊による愛のゆえに、私のために神に祈ることによって、私と共に奮闘してくださるようにお願いします。
  2. どうか、私がユダヤにいるあの不信仰な者たちの手から守られ、エルサレムの聖徒たちのための私の奉仕が喜んで受け入れられますように。
  3. こうして、私が神のみこころによって皆さんの所に喜びをもって行くことができ、ともに元気付けられるように祈って下さい。
  4.  平和の神が皆様方全員と共にいてくださいますように。アーメン。

16

フィベの推薦
  1.  さて私は、私たちの姉妹であり、ケンクレアの教会の執事でもあるフィベを皆さんに推薦します。
  2. どうか彼女を、主にある者として、聖徒にふさわしい方法で迎えてください。皆さんの助けを必要としているなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人を助け、私をも助けてくれたからです。
兄弟姉妹へのあいさつ
  1.  キリスト・イエスにある私の同労者たち、プリスカとアキラによろしく。
  2. 二人は私のいのちを救うために自分の首を差し出しました。感謝しているのは私だけでなく、異邦人の教会の全ての者も同様です。
  3. また、その家にある教会にもよろしく。私の愛するエパイネトによろしく。彼はキリストに捧げられたアジアでの初穂です。
  4. 皆さんのために多くのことに労苦したマリアによろしく。
  5. 私の同族であり、共に牢に入れられたことのあるアンドロニコとユニアによろしく。二人は使徒たちの間で名が知られていて、私より先にキリストにある者となったのです。
  6. 主にあって私の愛するアンプリアトによろしく。
  7. キリストにある私の同労者ウルバノと私の愛するスタキスによろしく。
  8.  キリストにあって練達ぶりが認められているアペレによろしく。アリストブロ家の人々によろしく。
  9. 私の同族のヘロディオンによろしく。ナルキソの家の者で主にある人々によろしく。
  10. 主にあっていつも労しているトリファイナとトリフォサによろしく。主にあって多くのことに苦労した愛するペルシスによろしく。
  11. 主にあって選ばれた人ルフォスとその母によろしく。彼女は私にとっても母です。
  12. アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、彼らと共にいる兄弟たちによろしく。
  13. フィロロゴとユリア、ネレウスと彼の姉妹、オリンパ、彼らと共にいる全ての聖徒たちによろしく。
  14. 聖なる口づけで互いにあいさつを交わしてください。キリストに属する全ての教会が皆さんによろしくと言っています。
最後にあたっての注意
  1.  私の兄弟たちよ。分裂を起こしたり、あなたがたがすでに学んだ教えとは異なる、つまずきとなるものを教えたりする者どもに気を付けるようにお願いします。そのような者たちから離れていなさい。
  2. 彼らは、私たちの主キリストに仕えておらず、自分自身の腹に仕えています。そして上手な口調と麗しいことばで、心の素直な者たちを惑わしているのです。
  3. しかし、あなたがたの従順さは、全ての人の耳に届いています。ですから私はあなたがたのゆえに喜んでいます。それで、私はあなたがたが善に対しては賢く、悪に対しては純潔であることを願います。
  4. 平和の神が、すみやかにあなたがたの足で、サタンを踏み砕いてくださいます。私たちの主イエス・キリストの恵みがあなたがたと共にありますように。
パウロとともにいる者たちより
  1.  私の同労者テモテと、私の同族であるルキオとヤソンとソシパテロがあなた方によろしくと言っています。
  2. 主にあってこの手紙を筆記している私、テルティオ自身があなた方にあいさつを送ります。
  3. 私と全教会の家主であるガイオもよろしくと言っています。市の収入役エラストと彼の兄弟クアルトからもよろしくとのことです。
  4. (なし)
頌栄
  1.  イエス・キリストを宣べ伝える私の福音によって、すなわち奥義の啓示によって、あなた方を堅く立たせることのできる方に
  2. ―この奥義は永遠の昔から隠されてきたが、今や明らかにされ、預言者らの書を通して知らされたものであり、永遠の神の命令によって、全ての異邦人に信仰の従順をもたらすものです―
  3. 知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストを通して、この方に栄光が永遠から永遠までありますように。アーメン。